100年前にタイムスリップ
東側のドルフィン桟橋に船を着けて無事軍艦島上陸。上陸してすぐ目に入るのが石炭を運搬するベルトコンベアー跡とその先に見える端島小中学校。上陸した東側のエリアは殆どが作業場だったそうです。
折角のガイドさんの説明もうわの空で写真を撮りまくり。100年前にこの土地に住んでいた5000人もの人たちはどんな生活をしていたのだろうか。砂浜もない要塞のようなこの島で・・・
島の中心を南北に高台があり、そこには公務員や三菱(この島は当時三菱石炭鉱業の炭鉱)の職員などが住んでいたらしい。特に上級の社員はこのコンクリートの要塞の中で木造二階屋に住んでいた。
それ以外の採炭する鉱員や地上で資材の荷揚げやコンベア・クレーン操作などをする組夫は階級に応じて住まいが決められていたそうな。特に下請けの組夫は日給住宅と言う西側の日当たりが悪く風通しも悪い住宅に住んでいたらしい。
鉱山の中枢であったレンガ造りの総合事務所。この島の司令塔的存在だった。職員が70~80人常駐し島内の指示をここから出していた。
1916年に建てられた日本最古の7階建て鉄筋コンクリートの30号棟アパート。鉄筋コンクリート造りとしてはまだ実験段階だったので建築学上でも貴重な建物となっている。ここは鉱員住宅としてロ型に建てられ吹き抜けになっている。
30号棟アパート前にはいくつかの工場があったが台風の大波や風化により殆どが崩壊してしまっていた。
島にはお寺と神社の両方があった。高台の北の方にある端島神社。危険と隣り合わせの鉱員達にとって神社は心の拠り所だった。4月3日の山神祭は全島挙げて盛大に行われていた。当時は拝殿もあったが今は祠のみとなった。
これが軍艦島と言われる姿。~軍艦島周遊~
上陸して島の南東より3ヶ所の見学広場を約40~50分かけて見学し再びドルフィン桟橋へ。既に乗船しているツアー客がいたが何とか船の最後尾をGETできた。
帰りは上陸して見学できなかった西側の住居エリアを船上から観光する事になる。その時のアングルが軍艦島と言われる姿だ。当時の軍艦「土佐」に似ていることから呼ばれるようになった。嘘か誠か当時のアメリカ軍潜水艦が軍艦と間違えて魚雷を発射したとか・・・
細長い作りの鉱員住宅31号棟。ここには郵便局、理美容院、地下に共同浴場があった。
これらも鉱員住宅。66,67号棟と59,60,61号棟。このアパートの向こう側は
「潮降り街」と言って大波が来るとアパートを越えて波しぶきが降ってきていた。